菅官房長官:訃報に接しまして、えー、まさに、痛恨の極みであり、早紀江さんをはじめ、ご家族の皆さん、心からお見舞い申し上げたいと思います。えー、私も拉致問題担当大臣として、えー、めぐみさんを、滋さんに会わすことができなくて、大変に、残念であり、申し訳なく思ってます。
記者:横田さんは、40年間以上にわたって、拉致問題の解決に向けて尽力されてこられました。拉致問題担当大臣として改めてどういった思いでしょうか。
菅官房長官:私自身、国会に議席を得てから、拉致問題解決に向けて、全力で、取り組んできました。特に、当選2回時に、万景峰号、まさに日本人を拉致をして、えー、そして、その拉致のための、司令塔であったあの船が、日本に、我がもの顔で、1年間に15~6回前後、入港しました。北朝鮮圧力を掛ける意味で、入港禁止を、河野太郎さんとか、山本一太群馬県知事とか、当時若い連中で、議員立法で、こうした法律を作って、圧力をかけてきた。
さらに、総務大臣の時に、NHKの担当放送で、拉致問題について、まさに、命令放送という、当時放送になったもんですから、大臣として、NHKに要請をして、北朝鮮の生活を知る弁護士さんをはじめ、皆さんの中に、日本の状況、情勢というものをですね、みんなで、取り戻すために頑張ってるということを、伝えてきたとかですね。ま、そういう中で、私自身も、安倍内閣で現在、拉致担当大臣として、残念ながら、これは結果論ですが、遅々として進まないこの現状に対して、先ほど申しましたけれども、申し訳ない気持ちで、いっぱいでありますし、何としても、めぐみさんを、日本に取り戻すという、そういう思いの中で、これからも頑張っていきたいと思います。
記者:これまでの滋さんとのやり取りの中で、どういったことが印象に残っていますか。
菅官房長官:ま、あのー、私たち、議員立法で、万景峰入港禁止の法律を、提出させようとした時にですね、なかなか当時国会は、運営上、議員立法ちゅうのは最後に回されますので、ギリギリで、会期末で、もう届かないのかなと思った時に、え、横田さんご夫妻がですね、テレビのインタビューで、これが遅れてるのは、みんな本気でやってない、という、一言、があってですね、何としてでも取り戻したいという、インタビューが、放映されて、一挙に、進まなかった議員立法がですね、一挙に国会に提出、提案されて、採決されて、成立したっちゅうのは、本当に横田さんの力はすごいなと思いましたよね。
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